オードリーヘップバーンのスパイ疑惑の真相!晩年の死に際が美しすぎる。

オードリーヘップバーン
オードリーヘップバーン

 

ローマの休日で知られ、銀幕の妖精と称されたオードリーヘップバーンさん。

今なおその美しさは語り継がれており、オードリーヘップバーンさんは今現在でもファッション界などにも影響を与えています。

そんな誰もが知る大女優オードリーヘップバーンさんに何と”スパイだった説”があるのはご存知でしょうか?

今回は

 

「オードリーヘップバーンのスパイ説の真相は!?」

「オードリーヘップバーンの晩年の死因が壮絶だった!?」

 

という内容でお送りいたします。

 

 

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オードリーヘップバーンの生い立ちは?

 

オードリーヘップバーンさんの誕生は”死”から始まったと言っても過言ではありません。

ベルギーのブリュッセルで生まれ、生後3週間で”百日咳”という病気にかかります。

なんと心臓が停止するまでに至ります。

しかし母親の懸命な心臓マッサージによって一命を取り留めました。

 

ですが、9歳で両親が離婚。

その後はオランダにいる祖父のお城へ行き、暮らします。

その頃からバレリーナを習い始めます。

しかし当時は戦争が盛んでした。

 

オードリーが16歳の頃、戦争が終結し、看護婦になります。

無一文からの再出発です。

 

19歳頃から映画やテレビの仕事を始め、21歳で準主役を張れる程に成長。

23歳の頃、オードリーヘップバーンの不朽の名作”ローマの休日”が生まれ、アカデミー主演女優賞を受賞します。

25歳で初めて結婚し、31歳で長男が誕生。39歳で離婚し長男の親権を得る。

40歳の頃、別の男性と再婚し、53歳で離婚。

 

“マイ・フェア・レディ””ティファニーで朝食を”等、数々の名画に出演したオードリーヘップバーンは59歳で女優業を引退する。

 

その後はユニセフの親善大使に就任し、数多くの苦しんでいる子どもたちに朗読をしに行ったり、戦争で大変な思いをしている子どもたちを支えに行くなど社会貢献に心血を注いだ。

 

そして、63歳の時に虫垂癌のため逝去されました。

 

 

 

オードリーヘップバーンのスパイ疑惑の真相は?

 

オードリーヘップバーンがスパイと聞くと、まるでルパン三世の峰不二子の様な華麗な女スパイを想像するかもしれませんが、真実は真逆です。

これはオードリーヘップバーンがまだ10代前半で、オードリーヘップバーンがオランダに住んでいた時です。

 

第二次世界大戦が勃発している最中で、オードリーヘップバーンが住んでいたアルンヘムはナチスドイツが正に攻め込んでいるところでした。

オードリーヘップバーンは地下に約5年程隠れ住んでおりました。

毎日飢餓と死の恐怖に怯えながら。

 

オードリーヘップバーンは生き残るために反ドイツの抵抗軍(レジスタンス)の連絡係等を行っていました。

主にレジスタンスに手紙等を渡して隠密行動をしていたようです。

 

常に地下に潜り、食べ物は雑草や球根等を食べていたそうです。

当然栄養失調にもなりますね。

 

この時の事を指して”スパイ”と言われているようです。

ただ、これはオードリーヘップバーン当時まだ”少女”と呼ぶべき年齢で、尚且つ止む終えない事情であったと思います。

 

 

オードリーヘップバーンの晩年の死因が壮絶?!

 

オードリーヘップバーンは1992年9月にユニセフ親善大使として活動していたソマリアからスイスの自宅に戻った際に、腹痛に襲われ、精密検査を受けました。

 

すると、悪性腫瘍(癌)が幾つかの場所に体内で転移をしていたそうです。

手術と化学療法で対応しましたが、施術後に腸閉塞を発症。

なお、腸閉塞は大の男でも涙を流し悶え苦しむ程に痛みを伴うと言います。

 

そこで何とか一命を取り留めるものの、後に癌が全身に転移し、もはや治療は不可能という状態に。

 

オードリーヘップバーンは自身にとって最後となるクリスマスの夜に、自分の子供である”ショーン”と”ルカ”を呼び、最後の詩を朗読したそうです。

 

 

魅力的な唇であるためには、優しい言葉を語りなさい。

愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。

ほっそりした身体であるためには、 空腹な人と食べ物を分かち合いなさい。

美しい髪にするためには、 一日に一度、子供の指で梳いてもらいなさい。

美しい身のこなしのためには、 「決してひとりで歩むことがない」と知ることです。

人は物よりはるかに、復元し、改善し、回復させ、更生させ、 何度でも挽回させるべきもの・・・

誰も決して見捨ててはなりません。

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手の先に 助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年を重ねれば、人は自分にふたつの手があることに気づきます。

ひとつの手は、自分自身を助けるため、 もうひとつの手は他者を助けるために。

 

最後まで博愛の心を忘れない美しい最期だったと言います。

 

 

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まとめ

 

 

オードリーヘップバーンさんが残した名言は沢山ありますが、今回の記事の内容で言うとこんな名言が当てはまります。

 

戦争を経験して、

逆境に負けない強靭さが身につきました。

また、戦争が終わって

戻ってきたもののありがたみを

つくづく感じました。

食料、自由、健康、家庭、

そして何より人の命に、

深い感謝の念を抱いたのです。

 

オードリーヘップバーンさんはもう20年以上も前に亡くなられており、現役で活躍しいた頃というのは更に昔です。

 

それでも今の若い世代の方たちであってもオードリーヘップバーンさんの名前を知っているという人がほとんどだと思います。

 

オードリーヘップバーンさんが持つ心の純粋さと、今なお続くこの人気は間違いなく関係性が深いと思います。

 

 

 

 

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