
明智光秀の子孫はあのDJのクリス・ペプラーだった・・・
結構衝撃的なニュースですよね。
織田信長の子孫である織田信成さんは凄くそれっぽいルックスをしております。
ですがクリス・ペプラーさんと明智光秀って・・・!?
色々と頭の中でとっちらかっているので(笑)整理したいと思います。
今回は
「クリス・ペプラーが明智光秀の子孫ってどういう事?」
「
という内容でお送りいたします。
クリス・ペプラーが明智光秀の子孫ってどういう事?
クリス・ペプラーさん自身はドイツ系アメリカ人の父親と日本人の母を持つハーフです。
幼少期からお母さんにあなたは明智光秀の末裔なんだよ!
と聞かされてはいたそうです。
なぜそんな事を言っていたかというと、お母さんの母親(おばあちゃんですね)の苗字は”土岐”という苗字だったんです。
で、この”土岐”という苗字は鎌倉時代から戦国時代まで活躍した武家の名前です。
そして、これまでも明智光秀は土岐家の血筋の人間なのではないかと囁かれていましたが、まだ確証を得るものはなかったそうです。
ですが、ここ最近になってそれを決定づける物証が見つかったそうなのです。
それは、いわば明智光秀は土岐家の血筋である事を証明するものであり、専門家もクリス・ペプラーは明智光秀の末裔といって差し支えないと太鼓判を押しているそうです。
土岐とはどんな一族だった?
土岐という名前は、鎌倉時代〜江戸時代にかけて活躍した武家の名前です。
元々清和源氏の一族で、美濃一円を支配していた守護大名たちですね。
南北朝時代から戦国時代まで200年にも及ぶ活躍を見せていた一族です。
清和天皇の子孫である”清和源氏”が元々のルーツであるそうです。
清和源氏から様々な子孫が誕生し、それぞれが鎌倉将軍家を排出しています。
清和源氏をルーツとした一族は
新田氏、足利氏、武田氏、佐竹氏、細川氏、今川氏、土岐氏、南部氏、宍戸氏
等など沢山の名家を排出しています。
土岐氏が”土岐”を名乗り始めたのは、一族が鎌倉時代に土岐一族が美濃国土岐郡に土着し始めた事から”土岐”の苗字を名乗り始めたそうです。
(美濃国とは、現在の岐阜県の事です)
主な活躍としては
北朝の戦いで足利尊氏に従軍して功を挙げた土岐頼貞は土岐氏として初代の美濃国守護となった。
その後、支配は美濃一円に広がり、桔梗柄の家紋から桔梗一揆と呼ばれる、戦闘力と団結力を誇る一族となった。
との事で、かなり優秀な一族であった事が伺えます。
しかし当時、土岐一族が支配する美濃国に斎藤道三という一介の油商人がいました。
元々京都から渡ってきた彼は、美濃国で土岐頼芸に仕える運びになりました。
(元々何をやっても器用な人で、普通は一介の商人が土岐家に仕えるなんて事は有り得なかったのですが、斎藤道三はよほど才能に溢れた人だったようです。)
しかし土岐頼芸には悩みのタネがありました。
それは同じ一族の大名である土岐政頼の存在がかなりウザいという事です。
斎藤道三はここに目をつけ、土岐頼芸を言葉巧みに操り、クーデターを実行します。
結果、政頼を一晩の内に一気に襲い、追放!!!
土岐頼芸は見事美濃の大名へとランクアップ!仕掛け人の斎藤道三は幹部に。
しかし、斎藤道三はそれだけに終わりませんでした。
「どうせなら土岐頼芸も追い出して俺が大名になったれや」
と。
結果、政頼を追い出したその11年後、またもや斎藤道三はクーデターを起こし、土岐頼芸を追い出す事に成功!
結果、土岐家は崩壊してしまったそうです。
※土岐家はその後、大きく台頭する事は無かったですが、最終的には斎藤家の子孫と手を組んで、斎藤道三を◯し、復讐を果たしています。
まとめ
過去の事が今になって繋がりを持つという事に非常にロマンを感じますね!
自分の名前も調べてみると意外な人物にあたるかもしれませんよね!^ ^
そう考えると、歴史を知るという事は本当に楽しいですね!
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